京都市 ~ 45km (約 60 分)
宇治市 ~ 17km (約 25 分)
奈良市 ~ 20km (約 35 分)
大阪市 ~ 51km (約 65 分)
大津市 ~ 45km (約 45 分)
名古屋市 ~ 122km (約 105 分)
神戸市 ~ 81km (約 100 分)
津市 ~ 78km (約 80 分)
堺市~ 63km (約 82 分)
和歌山市~ 118km (約 120 分)
和束町は京都府南部の相楽郡に位置します。相楽郡和束町、そう「相い楽しく和を束ねる町」です。和束町の一番の特産物は「お茶」、お茶を極めると和束にたどり着くと言われるほど、高級日本茶の里として知る人ぞ知るお茶の町です。
近畿地方の真ん中あたりに位置する和束町は、京都市内、大阪市内へ電車や車で約1時間、滋賀県大津市へは車で約45分、奈良市内へは車で35分の好立地で、伊勢神宮へも高速道路を使えば2時間以内で行けます。静かな町でゆっくり滞在しながら京都や奈良を観光したい旅行者にも人気の町です。
【最寄り駅】JR関西本線 加茂駅
加茂駅西口から奈良交通バス 和束木津線 (65系統) で約15分
古くは弥生時代から集落があったとされ、奈良時代には平城京造営や恭仁京、紫香楽宮などの都造営には和束町含む南山城一帯で建築木材等を調達していたとの記録があります。和束町石寺あたりには石原宮という離宮があり、聖武天皇も750年代によく行幸されていました。恭仁京から紫香楽宮の通り道にある和束町は交通の要所でもありました。奈良時代に編纂された万葉集にも「和豆香蘇麻山(わづかそまやま)」「和豆香山」などが詠まれており、古い文献にも「和束の杣(そま)」と記されています(杣とは植林し材木を採る林業のことを表す)。奈良時代から平安時代にかけて和束町は林業の町として栄え、奈良の東大寺、元興寺、大安寺、興福寺などへ木材を供給する領地となり、興福寺や東大寺、春日大社やのちに北野天満宮の荘園となっていました。
鎌倉時代になり和束町の茶業が始まります。
海住山寺の高僧 慈心上人が茶業興隆の祖と言われる京都栂尾 高山寺の明恵上人から茶の種子を分けてもらい和束町の鷲峰山(じゅぶさん)山麓 原山で栽培を始めました。原山のお茶は今でも品質が良いと言われていて、慈心上人はなぜ原山の地がお茶に適していると判断したのかは未だに謎です。これが山城地区一帯のお茶の始まりでした。明恵上人は栄西から茶の種をもらい栽培方法を聞き境内で茶の栽培を始めていました。のちに宇治に茶の種を蒔き広め、その後安土桃山時代には本格的な茶畑が作られるようになっていきました。
江戸時代になり徳川二代将軍秀忠 の娘徳川和子が後水尾天皇の中宮になった時に和束を朝廷に献上され皇室直轄の領地「禁裏御料地(きんりごりょうち)となり和束茶は天皇家御用達のお茶となりその名を高め、和束は明治になるまで独自の文化を築いていきました。
明治時代には町村制の施行により15ヶ村から4ヶ村となりました。和束で生産された荒茶は和束川から山城のお茶の集積場所である山城町上狛界隈に集められ、一部は木津川~巨椋池~淀川~大阪湾~神戸港のルートをたどりアメリカへ輸出されていました。
昭和に入り1953年の南山城大水害の翌年、西和束村、中和束村、東和束村が合併し和束町となり、1956年には湯船村も編入され、人口約8,000人の町が誕生しました。
人口 : 3,571人 世帯数 : 1,640軒
小学校 : 1校 110人
中学校 : 1校 56人
茶農家 : 243軒 茶園面積 : 568.7ha (甲子園球場 3.7ha)
※京都府 茶農家 : 682軒 茶園面積 : 1525.4
(令和4年の資料)
日本の三大茶と言われる宇治、静岡、狭山のお茶、その宇治茶の約半分は和束町で作られ、抹茶の原料の碾茶は全国一の生産量です。
お茶農家をしたい、農業をしたい、自然農法・無農薬農業をやってみたい、新しい特産品にチャレンジしたい、農業体験したいなど「和束ひと・まちコンソーシアム」にご連絡下さい。